こんにちは、陽介です。
現在22時。ホームページの更新〆切まであと2時間です。
今回も簡単にかける内容をば。
前話でわかばちゃんがバレーボールの話をしていたので、僕もそのあたりについて書いていきます。
僕は中学から陸上部に入り本格的に競技を始めましたが、小学生の頃は野球とスケートをやっていました。
スケートって長野県らしいでしょう?
また後ほど書きますが、全国大会は北海道か長野県の選手がほとんどなんですよ(笑)
陸上は『やっている』というよりは、たまに町の陸上大会に出てみるみたいな程度です。
一番没頭していたのが野球です。
野球は兄の影響で、小学校2年生の時に始めました。
小学生の頃はスポーツはなんでもできる、いわゆる運動神経抜群タイプの少年。
ただ、陸上に熱心に打ち込むようになってからはその能力の高さは徐々に失われ、前方向に長く走り続ける事だけに特化してしまったのですが、まあその話は置いといて(笑)
野球では1番ピッチャー、もしくは内野の要ショート。
スケートでも毎年だいたい県ランキングの上位におり、6年生の時には最も規模の大きいクラスの大会で優勝したこともありました。
そんな感じで同級生にあまりライバルはおらず、1、2歳年上のお兄さんたちに引っ付いて…もしくは差し置いて活躍している感じでした。もちろん陸上・持久走も。
基本的に父ちゃんも母ちゃんもやりたいことをやらせてくれ、かつ全面的に応援してくれていました。
ただ、父ちゃんからは『いつかは一つに絞らなきゃいかんぞ』とは言われていました。
小学生の頃はいろいろ手を出していても大丈夫でしたが、中学生になると部活動に入るので、競技をひとつに絞らなければなりません。
当時の築舘少年は、そこまで迷わずに競技を決めました。
そう、陸上競技です。
野球も楽しかったのですが、6年生になるとその地域の6年生を集めた『オール○○』というチーム編成で全国優勝を目指すイベントがあります。
プロ野球でいうWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)みたいな感じです。
それまでは学校単位でのチーム編成でしたが、その時初めて別の小学校の人と同じチームになって一緒に練習・試合に臨みました。
そんな風に他の学校の選手と練習する中で、その集団内での自分の位置から『あ、これはすぐ通用しなくなるかも』という感覚を覚えました。
自分のチームでは1番だったけど、ワンランク競技レベルを上げてみたらそのレベルの選手はゴロゴロいたという感じです。
あとは、チームスポーツよりも個人種目の方が向いているというのも感じ始めていました。
当時から、色々と考えて試行錯誤しながら競技力を高め、成果を出すことが好きだったので、他の選手の取り組み=自分じゃコントロールできない変数が混ざるのが嫌だった。
自分が頑張れば自分が笑える。自分がさぼれば自分が泣く。
そんな、自分の努力が100%自分に返ってくる競技を求めていた時期でもありました。
築舘少年、なかなかに自信過剰で傲慢でしたね(笑)
じゃあスケートは?個人種目じゃん?
まあそうではあるのですが、当時はスケートという競技にあまり華々しさを感じていなかったというか、それこそ寒冷地方だけのマイナーなスポーツのイメージがあったので、全国共通の尺度で測りづらいという理由、それから靴1足に何十万円もかかるスポーツなので、金銭的な点も含めて選択肢からは外しました。
当時の陸上の恩師には、冗談半分で…
と言われていました(笑)
陸上は確かにそこまでお金がかからないし、それに加えてちょっとさっきの話に戻りますが、少年野球の『オール○○』の選手の中でも、持久走に関しては僕についてこれる人が誰一人いなかった。範囲を広げた世界でもダントツだった。
これなら、陸上なら面白いところまで行けるのではないか?
そう思ってそれまで没頭していた野球をやめ、陸上に路線を変更しました。
その後は『陸上』の世界線で紆余曲折ありながらも夢だった箱根駅伝、終点に到着しました。
自分の選択が間違っていたとは思いませんし、後悔も全くありません。
ただ、もし他の競技を選んでいたらどうしていたかな?と考えることはたまにあります。
もし野球を選んでいたら多分中学生までで限界を感じ、恐らく早々にお勉強の方にシフトしていたと思います。
スケートをしていたら…というのが自分の中で気になる世界線です。
というのも、野球界・陸上界・スケート界、その世界における競技力の偏差値でみると、陸上も高かったかもしれないけれど、スケートが最も高かったように思います。
県レベルでトップを取ることが、そこまで難しいことに感じなかった。
そしてスケートにも500m~10000mまであるのですが、距離を伸ばせば伸ばすほど自分にとって有利な舞台になっていくのを感じていたからです。
さらにそれに加えて競技人口の少なさ。
冒頭でも述べた通り、スケートはその競技の特性上、寒い地方の選手しかいません。
北海道と長野県の選手しかいないのなら、日本一をとったりオリンピックに出れる可能性は野球や陸上にくらべて格段に高まります。
そんなこんなで、僕の妄想の中ではオリンピックのチームパシュートで加藤ジョージ選手と長島圭一郎選手と優勝したりして、下の写真も高橋大輔選手じゃなく築舘陽介だったのかなあと。
冗談です(笑)
そんな甘い世界ではないことは重々承知の上、そして過去に戻って世界線を変えることができる訳もないのですが、もしも『陸上』じゃない世界線があったとしたら…。
そんな風に妄想しては、鼻の穴をヒクヒクさせている築舘であります。
割と昔から自分を分析するのが好きで、どんなことが得意でどんなことが苦手なのか、自分という人間を知ることに興味があります。
もちろん自分が好きなことをやりたいという気持ちもありますが、それとは別で自分が他と比べて偏差値の高い世界を選んで生きていきたいという思いも昔からあります。
それはある意味で優越感に浸りたいという気持ちなのかもしれないけれど、それだけではなくて。
自分の偏差値が高い世界で力を発揮するということは、誰かにとっては難しいことが、自分では難なく当たり前のようにできてしまうということ。
それってすなわち、自分の能力・価値を周りに提供しやすい環境であるということ。
重宝され、自分に需要がある環境なわけです。
だからこれからも自分を知る旅は続いていくだろうし、それと同時により偏差値が高い世界を求めて、もしくは偏差値を上げる努力をしながら生きていきたいと思っている築舘です。
そうやって自分の能力・価値を周りに与えつくして最期を迎えられたら、きっと良い人生だったと言えるだろうなあと思うのです。
夜に記事を書くと、変なムードになっちゃってダメだ(笑)
夜に書いた話が、朝起きて読み返してみたらめちゃくちゃ恥ずかしくなることも多く、今回もそんな気がしていますが…。
さっさと投稿してしまおう。
では!
今日もつきだて家に遊びに来てくださり、ありがとうございました。
記事担当:陽介